| Is |
Mobster Criminal Gangster |
| From | Japan |
| Type | Crime |
| Gender | male |
| Birth | 6 July 1930 |
| Age: | 90 years |
| Star sign | Cancer |
加茂田 重政(かもだ しげまさ、1930年7月6日 – )は、日本のヤクザ。暴力団・一和会副会長兼理事長、加茂田組組長、元三代目山口組組長代行補佐。
経歴
二代目山口組(組長・山口登)若衆の加茂田松太郎の子として1930年に神戸市で生まれた。
高等小学校卒業後 不良となり、窃盗犯として数回検挙されるようなことがあったが、戦時中は海軍に徴兵され輸送船のコックとして従軍した。
戦後、神戸市番町で活動していたわさび会に加わった。
1956年、わさび会が解散したのを機に、三代目山口組(組長・田岡一雄)の若衆となり加茂田会(後に加茂田組に改称)を結成。当初は用心棒などをシノギとした。
程なく大阪で起こった1960年の明友会事件で自身、組員を引き連れて大阪に出向き武闘派として活躍したが、この事件の現場責任者として刑務所に長期服役することとなる。この間に千葉刑務所で野村秋介と知り合った。野村の著書によると、関東のヤクザの多い千葉刑務所でも己が山口組を代表するとの意識が強く、代紋に対する誇りを感じさせたという。
組長・加茂田の長期服役中で不在にもかかわらず山口組の中にあって、加茂田軍団と異名を持った加茂田組は数々の抗争で山口組の武闘派として名を馳せた。
出所後の1977年には松山抗争で貢献し、その年のうちに若頭・山本健一の下、若頭補佐の要職に就いた。
田岡一雄亡き後の4代目争いでは、組長代行・山本広を推して一和会に参画し、副会長兼理事長となった。山一抗争の中、賭博罪で服役。1988年4月に北海道の傘下組長が山口組 弘道会系組員に暗殺されると、対応を巡って加茂田組は内部から崩壊し、同年5月7日、自身の引退と加茂田組の解散を表明、渡世から身を引いた。
2016年、回想録『烈侠ー山口組 史上最大の抗争と激動の半生』を発表。その翌年には当時の写真や関係者のインタビューなどを収録した『烈侠外伝ー秘蔵写真で振り返る加茂田組と昭和裏面史』が発表された。
その他
山一抗争の最中の1984年には、テレビのインタビューで、のちの暴対法施行を見越して「私の怖がっとんのはね、私の一番恐れとんのはですよ、これなにかヤクザの法律ができると思うんです私は。法律をこしらえてそれを適用されたらヤクザは食ていけんぞと。まヤクザみたいなんはおらんでもいいんですわホンマはね」という発言を残している。
一和会発足後の翌1985年のNHKの取材においては、山本広が慎重な発言に徹するのに対し、「組員がやがな、一和会が正しい言うんなら、増えるがな、そらなんぼでも。山口組でのうても、よその組からでもやな、入れてくれ、入れてくれ、って来よんねんから」「来たらこっちもやります、ケンカはします。それははっきり言っときます、来たらね」と一人気を吐いた。